倉敷緞通
倉敷緞通の前身は、金波織(きんぱおり)という敷物。昭和の初期、早島町で花筵(花ござ)の製造を行っていた矢吹貫一郎が日本の和洋折衷の建物にも合う敷物として考案したこの金波織を民芸運動家の柳宗悦が見て「倉敷緞通」と名付け、縞柄を加えたのが始まりです。倉敷緞通は倉敷の特産品として全国的に人気を集め、戦争が始まるまでは海外へも輸出されていました。戦後は再び生産を再開し、昭和30年代から40年代にかけては注文に追い付かないほどの隆盛でしたが、原材料の高騰や職人の高齢化などが重なって昭和61年(1986年)を最期に作られることもなくなってしまいました。 平成3年(1991年)、中小企業の社長を中心メンバーとする「伝統産業復興研究会」が発足し、倉敷緞通の再興がはかられることになります。現在、倉敷緞通の製造に携わる瀧山雄一氏は平成4年(1992年)にこのプロジェクトに参加。残っていた織機を他から購入してメンテナンス、改良を施しながら技術を身に付けていきました。現在では個人事業主として独立し、倉敷緞通の製造を続けています。
倉敷緞通アイテム一覧
倉敷緞通概要
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- 企業名・店舗名
- 倉敷緞通
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- 住所
- 〒710-0022
倉敷市早高490-7
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- 連絡先
- TEL.086-482-3478
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- メール
- kurashikidantsu@gmail.com
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- 設立
- 1995年01月01日